ウガンダ for ウガンダプロジェクト
私が初めてウガンダに来たのが2008年。
そして野球に何のバックグラウンドもない(むしろ野球が苦手…)そんな私が、ウガンダ野球に魅せられたのが2012年。
あれから5年の月日が流れて、びっくりするくらいの成長を遂げたウガンダ野球が、今ここにあります。
このプロジェクトは、東京オリンピック出場を目指すウガンダ野球チームを中心に、ウガンダ全体を盛り上げていこう!という思いで立ち上げました。
この5年を見ても、ウガンダ野球はどんどん強くなっています。その強いウガンダ野球を世界に発信し、野球だけでなく地域コミュニティーをも巻き込んで、そこに私たちも加わり、自然な形でウガンダをサポートできる、そういうプロジェクトを目指しています。
最終的にはウガンダの人たちが、自分たちでこのプロジェクトを進めて行けることを念頭に、「ウガンダ人のウガンダ人によるウガンダ人のための活動」が出来るように、”ウガンダ for ウガン“ダプロジェクトを開始します。
どうしたら自然な形で日本とウガンダを繋げて行けるか、ずーっと考えていました。
その答えが何となく見えてきたここ数年。そしていま、やっと世に出すことが出来るこのプロジェクトの詳細を書いていきます。
大前提として、ウガンダ野球って、どうなの?
2014年に日本の支援によりアフリカ大陸初の国際規格の野球場が建設され、練習環境も少しずつ良くなってきました。同時にナショナルチームも結成され、日本への選手派遣も行っています。
一言で言ったら、強い、かっこいい。そしてこいつらだったら、なんか面白いことしてくれそう。そう思えるのがウガンダ野球です。どのくらい強いかと言えば、アフリカ大陸で1位2位を争えるほど。こんなに強いのに、知られていない!なぜだっ!ってそれは、公式大会に出場していないから。彼らを何としてでも世界に知らしめたい。これがまず第一のの思いです。
今のウガンダ野球のチャレンジ
何より道具が無いという事。野球人口に対して道具が極端に少ないのです。外部からの支援に頼らざるを得ないのが現状です。ただ難しいのは、道具だけではすべて解決できないということ。試合をしなくてはいけないし、グラウンドも整備しなくてはいけない。ウガンダにも野球協会はあるけれど、国から予算が出ているわけでもない。野球に限らず、ウガンダの色々な問題は複雑に絡み合っていて、一筋縄ではいかない。だからこれからのウガンダには長期計画のもと、しっかりとした道筋を立て、その複雑に絡み合った色々を、少しずつ、ゆっくりとほぐしていく必要があります。
ウガンダ支援でなぜ野球なの?
もともと私は、ウガンダの子どもたちの生活を何とかしたいと思って、ウガンダに戻ってきました。ストリートチルドレンの支援団体に出入りしたり、現地の支援団体の設立に立ち会ったりしたこともありました。そこで感じたのは、この国に必要なのは多様性だという事。選べることが、割と当たり前な日本ではあまり考えられないかもしれませんが、この国での生きるうえでの選択肢は非常に少ない。少ないというより、みんな知らない。選択肢を少しでも増やすこと。それが今のウガンダに必要な事だと思います。
だからなにも野球だけじゃなくていいんです。好きな事を見つける事。選べるようになる事。そしてそれを続けていける事。それが大事なんだと思います。
野球に関わっていて、彼らのエネルギーを目の当たりにしてきたこの数年。ひょっとして、彼らからウガンダを変えられるのではないか。そう思い始めたのが、この計画を始めようと思ったきっかけです。
今のウガンダで、野球だけが良くなったらすべて解決かと言えば、そんなことはありません。だからずーっと考え続けています。
答えが見つかったわけではないけど、これだ!と思えるもの。それは見つかった気がします。
この計画の第一段階の目標
ウガンダ野球は強い。それはもうお話ししたことですが、それをじゃあどうやって世界に発信するのか。最近ウガンダの観光大使にあのピコ太郎さんが任命されました。なんでもPPAPの世界ランキングでウガンダが一番だったとか。ちょっと前までは考えられなかったことですが、ウガンダも今では4G LTEがほぼ全土に渡って飛んでいる時代です。この高速インターネットを使わない手はありません。
この環境を生かして、彼らの活動をネットで配信をします。試合や練習だけでなく、ウガンダはどういう国なのか、どんな環境か、人々の暮らしぶりはどうなのかなどなど、まずはウガンダを知ってもらう事が大切だと思っています。
そして世界に発信されたウガンダ野球のフィードバックが、ウガンダ人選手のモチベーションにつながり、自分たちが強いことで世界が喜んでくれることを知る。まずはこれが一つ目の目標です。
球場スポンサーであって、球場のスポンサーではない・・・?
このプロジェクトのベースとなるのは、野球場のスポンサー収入です。野球場への企業、団体、個人のサインボード設置によって、球場に広告収入が入ります。ではその広告収入で何を行うかというのが今回のポイントです。
まず、これまで単発的、散発的支援しか受けられなかった彼らが、定期収入により彼ら自身の考えで計画的に動く事が出来るという点です。この計画をベースに、ウガンダ野球の安定した運営を目指します。野球場そのものの整備、改修から、道具の調達、そしてリーグ戦の経費など、今彼らに必要なものを、彼らの計画によって実行していきます。
そしてこの計画は野球支援だけで終わるものではありません。ウガンダの青少年や地域コミュニティーのための支援も行います。理由はウガンダに必要なのは野球だけではないからです。助けが必要な子ども達や女性グループなどに対し、ウガンダ人の視点から何が必要かを考え、行動します。
ウガンダ野球から、ウガンダへ
外国人がスポンサー収入を分配して、野球やコミュニティー支援活動を行う。これと今私たちが活動している「ウガンダ for ウガンダ」は似て非なるものです。時として、途上国支援は、支援者側の希望や押し付けで終わることが少なくありません。支援を受ける方からすれば、少なくともありがたいことであることは確かで、それに対しNOと言ったり、変化を求めたりすることは非常に難しいものでした。
そこで、彼らの手によって、彼らが考えるやり方で地域に貢献していく形を作りたいと考えました。彼らが考えて、自分たちの国を良くしようと行動すること。この気持ちは、これからのウガンダにとって、とても大切なものになると思うのです。そして、外国人からの支援は「当たり前」と捉えられがちですが、それを彼らが行う事で、地域コミュニティーからの心の面での支持にもつながり、海外で認められる以上に彼らのモチベーションにつながると思うのです。
このプロジェクトの主体はあくまでウガンダ人である野球選手であり、彼らが彼らの考えによってウガンダのために行動する。これがこのプロジェクトの中心となるものです。
そして、スポンサーの皆さんは、ただ球場にサインボードを設置するだけのスポンサーではなく、野球選手たちのウガンダに対する思いも一緒にサポートする、そんなプロジェクトです。
そして最後に目指すもの
最終目標はこのプロジェクトがウガンダの人々だけでどんどん回っていって、小さな輪が大きな輪に、そしてウガンダの外にまで広がっていくことです。そしてほんとの最後には、「ムギシャ(大平のウガンダ名)、もう日本に帰っていいよ」と言われることです。私達は自分たちのためにダラダラ活動しません。もう大丈夫だと思ったら、私は日本に帰って床屋に戻ります。床屋に戻って、ワイフとマイサンと仲良く暮らします。いや、でも、ウガンダとの関わりは続けたいので、たまにウガンダに来て様子を見に来たいです。それか第二の故郷カバレに戻って、ブニョニの湖畔で隠居生活を送るのも良いかも。
「昔こんな日本人がいてね、野球も出来ないのに野球に関わって、ボールが頭に当たって失神しちゃってね、変なやつがいたんだよ」なんて語り継がれてたら面白いなぁ。
私がいないと回らないプロジェクトにはしたくない。でも今は、まだ始まったばかりなので、日本の皆さんの助けが必要です。どうかウガンダをみなさんの頭の片隅に置かせてもらって、飲み会を1回キャンセルするとか、たばこをちょっと控えるとか、スタバじゃなくてセブンのコーヒーにしてみるとか、無理のない範囲でウガンダと関わってみてはいただけないでしょうか。
私達は日本の人も、ウガンダの人も、ほかの国の人も、笑顔にでいられるような活動をしていきたいです。
ちょっと興味を頂けたら、まずはメールでも電話でも何でもしていただいて、話をさせてください。なんでも聞いてください。
そして納得いただけたら、このプロジェクトに参加してみてください。
きっと楽しいと思います。だって私が今、楽しいですから。
まずは知ることから始めてみてください。
アクションフロムジャパニ
代表 大平貴之

人生最初に撮ったウガンダ
(2008年9月25日)

アフリカ大陸初の公式規格野球場
(2014年1月30日)

限られた道具を大切に使う
彼らならウガンダを変えられる!


選手にインタビューする大平
練習後、球場を整備する選手たち


ろう学校の子供たちと
スラムで出会った子ども達

難民キャンプの子ども達


大平失神事件…
僕の人生を変えた
カバレのストリートキッズのみんな

奇跡の湖、ブニョニ湖
